しあわせ信州

体験談

  • 自分の身体と向き合うこと

    私は今まで、妊娠への準備なんて早すぎるしまだまだ先のことだと思っていました。今は子どもが欲しい訳でもないし、現実的では無い。そんなイメージを少し現実に近づけてくれたのが "HPVワクチン" でした。
    何となく、打たなきゃいけないのかな?副作用とかないのかな?と考えてはみるものの、ズルズルと打たずに来てしまった。産婦人科の先生から言われた「将来子宮頸がんになって、もし子どもが産めなくなったりしたら後悔すると思うよ」という言葉にハッとしました。
    その時私は「将来子どもを産む選択ができないのは嫌だな。つまりこれは私に必要なんだ。」と漠然と感じ、妊娠への準備は予防や検診も含まれるんだという意識に変わりました。
    妊娠・出産は、ライフプランを見つめ直したりして前もって準備する計画性がとても大切なんだと思います。準備のひとつである月経も、もっと向き合って意識してみようと思えるようになりました。
    きっと、以前の私と同じように、他人事のように考えている若者は少なくないはずです。自分の身体をもっと大事に、真剣に考えることに早すぎることなんてないんだと気付きました。
  • 妊娠前から自分の身体と向き合おう

    私は、不妊症の原因である、多嚢胞性卵巣症候群という病気を抱えています。
    私がこの病気を抱えていると分かったのは、「妊娠したかも…」という不安から、産婦人科を受診したことがきっかけです。10年ほど月経周期が安定しないにも関わらず、性行為の経験がないことから、「妊娠は絶対にしていないからいいや」と、ほったらかしていました。その後、性行為を経験し、ある時、月経が3か月こないときがありました。「避妊はしていたけど、もし妊娠していたらどうしよう…」と不安になり、勇気を出して産婦人科を受診しました。診察の結果は、多嚢胞性卵巣症候群でした。私はまだ妊娠を望んでいなかったため、「妊娠はしていなかった」という安心と同時に、「自分が不妊症かもしれない」という絶望を感じたのを覚えています。
    妊娠前に病気が分かることで、妊娠に対する気持ちの準備ができるようになったため、産婦人科を受診して良かったと思いました。望んだ時に母子ともに健康な状態で妊娠ができるように、妊娠前からの健康を意識することは大切です。月経や妊娠について不安がある方は一度、勇気を出して産婦人科を受診してみてはいかがでしょうか。
  • 不育症治療をして二人の子供の母親に

    初めての妊娠は32歳のときでした。しかし心拍確認前に初期流産。その後、二回目の妊娠では無事に継続し、無事に出産しました。
    その子が一歳半になる頃に三回目の妊娠をしましたが、またも初期流産。私は35歳になっていました。初期とはいえ二回流産した事もあり、個人病院から総合病院に転院し、不育症検査等を行いましたが原因不明。その後、自分で東京の不育症専門病院を探し、受診・検査をして、ようやく原因がみつかりました。妊娠をすると血栓ができやすく、母体―胎児間の血流が悪くなってしまうことが原因で流産しており、治療法もわかりました。その後、紹介状をもって県内の総合病院に戻りました。流産して一年後に四回目の妊娠をし、妊娠5週目から36週までヘパリン自己注射(血栓ができないようにするための注射)を一日二回決まった時間に打ちました。お腹と太ももは常にあざだらけで時には涙したこともありました。その子も無事生まれ、今では元気にハイハイをしています。小さな胎嚢のままで止まってしまった二人の赤ちゃんのことを思うと、時々信じられないような気持ちです。辛かったけれど自己注射を頑張ってよかったです。
  • 伝えたい言葉は、「自分を責めないで」

    31歳で結婚し、34歳で自然妊娠しましたが7週で不全流産。それからタイミング法、人工授精でも初期流産が続きました。41歳からは顕微授精に挑戦するも流産となり、最終的にはステップダウンして、夫と話し合い「もうクリニックに行くのをやめる」という決断をしたのが50歳を迎えた頃。同時期に不妊ピア・カウンセラーの認定を受け、「願いは叶わなかったけれど、やれるだけのことはやった」という気持ちで治療を卒業しました。治療終結の時期を何度も延長し、自分でも驚くほどの年齢まであきらめなかったのは、ただ赤ちゃんに会いたかったから。この思いは決して消えることはなく、私の大切な一部としてともに生きていく・・・・・・治療を終えて2年が経った今、切にそう思います。
    流産を経験した女性は、どこかで自分を責めていると感じます。私のせいで、あのとき〇〇しなければ、と。過去の私がそうでした。けれども、誰のせいでもなく、何をどうやっても避けられないことがあるのです。だからこそ、同じ悲しみを抱えた方へ、どうか自分を責めないでほしいと伝えたいです。(NPO法人Fine寄稿 https://j-fine.jp/)
  • 妊活を優先した私の選択

    私が体外受精にステップアップしたのは、妊活を始めて4年目、37歳のときでした。仕事にやりがいを感じていたので、「妊活も大切だけれど、仕事もがんばりたい」と考えていました。しかし、周りからはDINKS(共働きで、子どもを持たない選択をした夫婦)と勘違いされることも多く、「お金に余裕があっていいね」という言葉に傷つくこともしばしば。それでも、「不妊治療をしている」と話したら、職場で泣いてしまいそうで言い出せず、とても苦しかったことを覚えています。
    着床さえしないまま2年が経ち、「ここでダメなら諦めよう」と転院し初めて妊娠。出産には至りませんでしたがようやく希望の光が見えた頃、私に転勤の辞令が出ました。異動先の部署は休みが不規則で休暇等の取得もしづらく、治療と仕事の両立は難しい状況でした。夫は「治療を続けても子どもができるとは限らないから仕事は続けた方がいい」と言い、私も「仕事一筋で生きてきたのに、辞めたらどうなるんだろう」と怖くて、とても迷いました。でも「治療は今しかできない」と退職を決断。その後の治療で妊娠、40歳で出産しました。定職は失ったけれど、今は退職前には想像もつかなかった「人生の第二幕」を楽しんでいます。(NPO法人Fine寄稿 https://j-fine.jp/)
  • 「無理をしすぎない」ことを学んだ仕事と治療の両立生活

    治療開始当時の私は、営業最前線で働くバリキャリ女子。「がんばれば達成できる」経験しかなかったため、タイミング法を半年試しても妊娠できなかった時はショックでした。体外受精専門病院へ通い始めてからも、「もっとがんばればなんとかなる、私のがんばりが足りないんだ」と自分を叱咤激励する日々。会社では、恥ずかしさがまさって治療していることを打ち明けられず、仕事量は変わらぬまま、結果として理由を言わない遅刻・欠席が続くことも。なにもかもが中途半端で、無礼を働いていることへの自責、なかなかうまくいかない治療・・・・・・どんどん精神的に追い込まれていきました。愚痴を聞いてもらおうと、唯一、治療について打ち明けていた不妊治療経験者の友人に会いにいったところ、逆に喝を入れられ、そこでようやく「やっぱり私は子どもが欲しいんだ!」と初心に立ち返ることができました。そこからは、完璧にできない自分を認め、「無理をしすぎない」という発想に切り替えて、“もっとがんばれば”から“ほどほどにがんばる”ことにして治療を続け、最終的には子どもを授かることができました。(NPO法人Fine寄稿 https://j-fine.jp/)
  • 妊活検診(不妊検査)を受けた方々から

    ◆助成制度があり助かりました。検査を受けるハードルが下がりました。(25~29歳・女性)
    ◆2人のことだから、2人で受けて、結果を知ることができて良かったです。(25~29歳・女性)
    ◆助成制度があったので検査を受けようと思いました。(25~29歳・女性)
    ◆自分の体の状態を知ることができました。
     検査結果から今後の治療方針を考えられ、妊活に前向きになれました。(25~29歳・女性)
    ◆自分には問題なく、想定外に夫の結果が悪かったので、AMHと精液検査が一体になっているのはとても
     よいと思いました。(25~29歳・女性)
    ◆不妊の様々な原因を調べるためには検査はかかせません。
     治療以前に検診にも費用が多くかかるため、助成制度は非常にありがたいと思いました。
    (30~34歳・女性)
    ◆子宮内膜症など持病を抱えている人は、早めに検査をした方が良いと思います。(30~34歳・女性)
    ◆妊活の次のステップがわかって安心しました。(30~34歳・女性)
    ◆結婚してなかなか授からないので不安があり、思い切って受診を決めました。
     金額が高いので、助成があるとたいへんありがたく、受けるきっかけの一つとなりました。
    (30~34歳・女性)
    ◆何か問題があるか不安でしたが、検診をして健康だったので安心しました。(35~39歳・女性)
    ◆自分の健康状態を知ることは大事なこと。
     今後の妊活に向けてどう進めていくのか、精神的にも楽になりました。(35~39歳・女性)
    ◆自分では全く想像がつかない領域なので、数値で知ることができるのは新鮮でした。
     結果によってどう人生設計していったらよいか考える機会となりました。(35~39歳・女性)
    ◆検診を受けることにより、自分の体の状態を知ることができました。
     パートナーと共有することで2人で進められると思いました。(35~39歳・女性)
    ◆不妊の原因が分かるきっかけとなったので良かったです。(35~39歳・女性)
    ◆検査を受けて結果を知ることで、今までの漠然とした不安が少なくなりました。(35~39歳・女性)
    ◆不妊の不安がありましたが、検診を受けたことにより自分の体の状況を把握できました。
     希望を持てたことがよかったです。
  • 養子を迎える選択をし、今は元気な男の子の母親に

    35歳で結婚。なかなか妊娠しなかったため治療を始めました。いくつか転院して42歳で妊娠。ようやく授かりとても嬉しかったのですが、出産を目前とした36週目で死産してしまいました。その後治療を再開したものの、年齢的な焦りと、また同じことになってしまうのではないかと不安な気持ちを持ちながら治療を続けていました。そんな悩みを病院のカウンセラーさんに打ち明けたところ、「家族を作る道としては養子縁組もある。ちょうど家族会があるので見学してみたらどうか。」とお誘いいただき夫婦で参加しました。家族会はまさに百聞は一見にしかずで、養子とわからないくらいの普通の幸せな家族ばかりで、率直にうらやましく未来に希望が持てました。子供たちも元気いっぱいで、時には親に甘える様子がとても可愛らしく、愛情をたくさんもらって育っているのを感じました。家族会に参加したことで夫婦の気持ちが固まり、早速養子の斡旋機関へ登録し、同時に治療を終える心の準備も始めました。それにより少しずつ気持ちが楽になり、後悔のない終焉と今後の人生の選択ができたと思います。現在は特別養子縁組で元気な男の子の母親となり幸せな日々を過ごしています。
  • 不妊治療を卒業し、夫婦の絆を深め本当の〝家族〟に

    不妊症治療を卒業して1年経った今、心から「私はとても幸せです」と言えます。その理由はちゃんと納得して治療を終えられたからだと思います。お互いの気持ちを全て打ち明け、ときにはぶつかり、ときには励まし合い、夫婦の絆を深められた大切な時間となりました。この時間がなかったら本当の〝家族〟になれなかったかもしれません。
    もちろん子どもを授かって卒業できたら一番良かったのですが、私の場合は主人から「最近あんまり笑わなくなった気がする。2人だけで仲良く楽しくやっていくっていうのはダメなの?」と言われたことがキッカケになりました。主人にも子どもを抱かせてあげられなかったり、私も母親になれなかったのはとても残念ですが、でも精一杯頑張った結果だと受け止めることはできています。最後の通院日「一緒に行けなくてごめんね。良く頑張りました。おつかれさま。」と主人からメールが届いたときは、電車の中、マフラーで顔を隠しながら嗚咽しました。帰宅した際には「これからもよろしくね」と言ってもらい、自分が誰かに必要とされている喜びを感じられた瞬間でした。
    これからは夫婦仲良く、健康で平和で穏やかな生活を送っていきたいと思います。
  • 男性不妊が判明。自分ができる治療として手術を選択

    妊活を始めて2年経っても妊娠しなかったため、不妊治療専門施設の門を叩きました。原因不明で体外受精や顕微授精に進んでも結果が出ず、どの方向へ行けばいいのか、どれくらい時間やお金がかかるのか、まるで霧の中を歩いているようでした。転勤のため転院した先で男性不妊の診察を受けると、精子の質や量が悪く、原因は精索静脈瘤だと判明。男性であることを否定されたように感じましたが、妻側の体調や体質改善とともに自分もできることがあると考え、手術治療を選択。半年後から精液検査の結果が改善しました。そして、治療開始から7年半、自然妊娠で子どもを授かりました。この間、不安からの口論も含め、たくさん話をして、妊活は夫婦が同じ目標に向かって同じ熱量で取り組むことが大事だと実感しました。

妊活Q&A

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