しあわせ信州

体験談

体験談

  • 妊活を優先した私の選択

    私が体外受精にステップアップしたのは、妊活を始めて4年目、37歳のときでした。仕事にやりがいを感じていたので、「妊活も大切だけれど、仕事もがんばりたい」と考えていました。しかし、周りからはDINKS(共働きで、子どもを持たない選択をした夫婦)と勘違いされることも多く、「お金に余裕があっていいね」という言葉に傷つくこともしばしば。それでも、「不妊治療をしている」と話したら、職場で泣いてしまいそうで言い出せず、とても苦しかったことを覚えています。
    着床さえしないまま2年が経ち、「ここでダメなら諦めよう」と転院し初めて妊娠。出産には至りませんでしたがようやく希望の光が見えた頃、私に転勤の辞令が出ました。異動先の部署は休みが不規則で休暇等の取得もしづらく、治療と仕事の両立は難しい状況でした。夫は「治療を続けても子どもができるとは限らないから仕事は続けた方がいい」と言い、私も「仕事一筋で生きてきたのに、辞めたらどうなるんだろう」と怖くて、とても迷いました。でも「治療は今しかできない」と退職を決断。その後の治療で妊娠、40歳で出産しました。定職は失ったけれど、今は退職前には想像もつかなかった「人生の第二幕」を楽しんでいます。(NPO法人Fine寄稿 https://j-fine.jp/)
  • 伝えたい言葉は、「自分を責めないで」

    31歳で結婚し、34歳で自然妊娠しましたが7週で不全流産。それからタイミング法、人工授精でも初期流産が続きました。41歳からは顕微授精に挑戦するも流産となり、最終的にはステップダウンして、夫と話し合い「もうクリニックに行くのをやめる」という決断をしたのが50歳を迎えた頃。同時期に不妊ピア・カウンセラーの認定を受け、「願いは叶わなかったけれど、やれるだけのことはやった」という気持ちで治療を卒業しました。治療終結の時期を何度も延長し、自分でも驚くほどの年齢まであきらめなかったのは、ただ赤ちゃんに会いたかったから。この思いは決して消えることはなく、私の大切な一部としてともに生きていく・・・・・・治療を終えて2年が経った今、切にそう思います。
    流産を経験した女性は、どこかで自分を責めていると感じます。私のせいで、あのとき〇〇しなければ、と。過去の私がそうでした。けれども、誰のせいでもなく、何をどうやっても避けられないことがあるのです。だからこそ、同じ悲しみを抱えた方へ、どうか自分を責めないでほしいと伝えたいです。(NPO法人Fine寄稿 https://j-fine.jp/)

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